排水量 | 39120トン | 全長/全幅/喫水 | 224.94m./34.59m/9.5m |
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機関出力 | 82000馬力/4軸 | 速力 | 25.0kt |
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航続力 | 16ノット/8650海里 | 乗員 | 1368名 |
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主兵装 | 45口径14cm連装砲4基/50口径14cm単装砲20基/40口径7.6cm単装高角砲4門/53 cm魚雷発射管8門 |
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装甲 | 水線305mm/甲板70+127 mm/主砲前盾457mm/主砲天蓋250mm/副砲廓152mm | 搭載機 | 3機(カタパルト1) |
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長門型戦艦の1番艦、姉妹艦は陸奥(むつ)
大戦時の日本の軍艦の中でもよく知られている戦艦の一つ。
日本海軍の象徴として国民からの人気も非常に高かった。
戦艦長門の最大の特徴はなんといっても特大口径の主砲である41cm連装砲を搭載している所だろう。
ワシントン海軍軍縮条約?にょリ主砲口径は16インチ(406 mm)以下と
定められたため406 mmを超える戦艦を建造することが建造できなくなってしまったため当時の列強国の所有する主砲口径406 mmを超える戦艦は7隻のみとなった。
これらの艦はビッグ7とも呼ばれ注目を集めた。
その中でも日本はメートル法と他国はインチを採用していたため実質的な主砲口径としてはトップとなった。
当時は大艦巨砲主義の考えが一般的だったため、強力な主砲を有する長門は他国からも注目をあつめました。
また長門の特徴として最大速力が25.0ktと当時の同クラスのなかでも快速であつたところだ。
しかし当初長門の最大速力隠され、対外的には660呎(201m)、23ノットと公表していた。
1923年(大正12年)9月の関東大震災では演習中だった長門が演習を中止して救援物資を東京に運んだりなどの
経緯からか国内での知名度が高く陸奥と長門は日本の誇りとまで言われたほど親しみをもたれていた。
長門は竣工から長期間にわたり運用されてきたが1945年7月の空襲 横須賀空襲により甚大な被害を受けてしまう。
そのご修復されること無く終戦を迎えて1945年8月30日に、連合国軍の1国であるアメリカ軍に接収され日本の戦艦としての役目が終わりを告げた。
接収後長門は1946年3月18日にクロスロード作戦(アメリカの核実験)の標的として使われる。
2回の核実験の末に1946年7月29日に沈没が確認された。